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あっぱれチャタマ(後)




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やはり書き始めてみると、とても長くなってしまった。
かなりハイスピードで、印象的なことだけを書き出しているつもりなのだけれど。
私の文章力のなさでダラダラと書き連ねるのもいかがなものかと思うけど、
それだけ長い年月を一緒に過ごしてきたということでもある。


とにかく、続きを一応最期まで記したいと思います。





チャタマを引き取ると決めたのはいいのだけれど、その頃自宅には先住猫がいて、
まだどちらも若めの雄だったこともあり、あまり折り合いがよくなく、
顔をあわせないようにチャタマだけ隔離という不遇の時代などもしばらくあった。
結局、先住猫が寿命で天国にいくまで、お互いにすごく仲良くはなれなかったけれど、
同じ屋根の下で暮らすもの同士、一定の距離感をおいて認識しあっていたようだ。
先に逝ってしまった雌猫のことは気に入っていて、自ら近づいてはよく軽くあしらわれていた。
基本的に、友好的でやさしい懐の深い子だったと思う。

先住猫達も次々と老衰で去り、その頃いろいろと環境の変化もあったので、
チャタマまで元気がなくなり一気に弱ってしまったらと心配していると、
しばらくして子猫を保護した。
こういうタイミングで出会ったのも何かの縁、きっといい相棒になってくれるのではと
半分はチャタマ活性化のためにと、いそいそ迎え入れた。
チャタマはとてもやさしい猫なので、案の定、子猫をすぐに受け入れ面倒をみてくれた。
都合のいい感じ方かもしれないけれど、子猫の存在でチャタマも元気になったように思う。
遊び盛りで噛み癖も出てきた子猫に、怒りもせず辛抱強くつきあってあげていた。
我慢強いできた猫なのだ。

大怪我を負って病院につれていった際も、ものすごく痛いのに暴れたりわめいたりは一切なく
黙って治療に耐えていたし、猫らしい我が儘な態度もあまりない子だった。
身体は小ぶりで筋肉質、寡黙で落ちついた猫だったのだけれど、ちょっとこちらが構いすぎると
口を小さくぴちゃぴちゃとならすこともあった。
困惑したときに出る表情で、普段ポーカーフェイスなチャタマがたまに見せる小さな意思表示だった。
子猫は男の子だったけれど、お互い相性がよかったのかチャタマの仙人のような大らかさの賜物か
どちらにしても仲良く、日に日にいいコンビになっていった。

数年たち初老感も漂ってきた頃から、時々癲癇のような発作を起こすようになった。
何の前触れもなく突然ひきつけを起こしてのたうち回る様子を、はじめはどうしていいかわからず、
症状がおさまるまでただ身体をさすり、静かに寝かせて様子をみて
おもらししたオシッコの後始末をするくらいしかできずにいた。
そんな事が数回あった後に、どうやらプラスチックの音に反応している事に気がついた。
ペットボトルや卵のパックなど、硬めのプラスチックを潰した時のバリバリとした音で、
何かスイッチが入ってしまい、引きつけを起こすことが判明。(反応する音など、猫によって差があるようだ)
それ以来、ペットボトルを潰す時は、チャタマが近くにいないこと、なるべく他の雑音がある時に紛れて
大きな音をたてないように等、とにかく細心の注意を払うよう心がけた。
原因がわかって以来、癲癇になることはなかったのだけれど、逆にこちらもその音に敏感になりすぎて、
外出先でもペットボトルをつぶす時にはいつもハッ!としてしまう。
それはチャタマがいなくなった今も変わらずのままだ。

筋肉質だった身体がどんどんやせて軽くなってしまったなぁと、目に見えて老いが見え始めて数年、
それでも高いところにもまだまだ飛び乗るし、食欲も旺盛。
トイレのチェック、夏は日射病、冬は風邪などひかないよう気をつけて、
無事にこの時期を乗り切ったねと安堵したりして、これからもずっと元気でいてねと願う。
すっかり中年猫へと成長した相棒猫は、困った事に自分のゴハンを早々に平らげてから、
すぐさまチャタマのゴハンを横取りに向うので、いつも目を光らせてないといけなかった。
食べている途中でもあっさり譲ってしまうので、最終的に食事は時間差であげることに。
更に食欲はあるけど、食べる速度は落ち、一度に食べる量も少なくなってきたので、回数で補うようにする。
全体量では相棒猫と同じくらいのごはんを食べているにもかかわらず、あまり身にならないのか
ふくよかさが戻ることはなく、お腹などぺっちゃんこ。
本当にこの1年ほどは、片手でひょいと持ち上げられる子猫並の軽さで、
クラッチバックみたいに抱えていられるねと、よく冗談にしていた。

去年の12月に下痢が数日続いた時があった。
病院に持参した便をみてもらうと、特定の病気というわけではなく、
高齢のため機能が衰えてきて、小腸の粘膜も一緒に出てしまっているようだと。
このまま機能が回復しないと更に黒い便が出て、そのまま弱っていくのみ。
効くかどうかはチャタマの体力気力次第ということで、注射をうってもらい
3日分の薬と、気休めだけどと整腸作用のある療法食を持たせてもらう。
先生曰く、もしも硬いうんちが出るようになれば、しめたもの!もう万々歳!!
その言葉に励まされ、でも最悪な状況もやはり覚悟しなければいけなかった。
帰った後はトイレに入る度、あまりストレスにならないよう少し遠巻きに便を見守った。
数日ゆるい便が続き、祈るように凝視している中、3日目にして固形の便が出た。
見間違いじゃないよねと、すぐさま確認。あぁ、先生、神様ありがとう、ありがとう。祝・硬便!!

また以前と変わらずもりもり元気にゴハン、段差もぴょんの生活に戻る。
それでも、老猫によくある夜鳴きも多く、ブルーの目も少し白っぽくなり、
年老いてくると爪が引っ込まなくなるそうで、たしかに後ろ脚の爪は出っぱなしになっていた。
ご飯を食べたばかりなのに、また欲しがるというような行動もみられ、
キッチンに行く度についてくるので、床に爪があたり室内犬がいるようなカツカツという音をたてていた。
その音が聞える度に、また来ちゃったの?さっきゴハン食べたからまだだよ、の繰り返し。
もともと聞き分けがよく落ちついた子なので、なんだか幼児がえりをしているかのようで
それはそれでちょっと好ましく可愛らしく思えたりもした。

年々もしもの事があってもおかしくはないなとうっすら思っていたし、12月には一度覚悟したりしたけど
そんな気持ちとは裏腹に、見事腸の復活を遂げて固形のウンチをもりもり出し、チャタマは元気に過ごしていた。
歴代の猫の中でも一番長生きしているので、これから先は未知の領域だけど
このままギネスにのるくらい長生きしてねと、チャタマ自身にもよくお願いした。

いつもゴハンをあげる時間の30分以上前から待ちの体勢で準備万端、
誰よりもゴハンに対し積極的で、缶詰と一緒にあげていた少量のガリガリもペロリとたいらげていたのに、
8月の中旬、ガリガリを残すようになる。
あまり早くから缶詰だけにすると歯が弱るかもしれないと、自分から食べている間はと続けていたのだけれど、
さすがに食べにくいんだなと、缶詰だけに切り替える。
数日して、ウェットタイプも残すようになり、食欲が湧くようにあの手この手でいろんな種類のものをあげてみるが、
ほんの少ししか食べてくれなくなった。
歴代の子達の最期からしても、自分から食べなくなったらそういうお知らせ、ということもあり、
なんともいえない寂しい気持ちとともにピリリと緊張感が走り息苦しくる。
前回はまだ治るかもしれないという希望が持てた。
でもこの感じは違う、とうとう来るべき時がきたのだなと感じた。
覚悟はできていたなんて全然嘘だった。受け入れ難く動揺した。


先代の子達は食事が自力でとれなくなってから、流動食を食べさせたり、
あれこれお世話をしながら1〜2週間は頑張ってくれた。
それに比べたら最期のお世話らしいお世話なんて、ほとんどしていないに等しい。
その子たちと比較しても、ここ数年のチャタマは更に高齢でとてもやせていたので、
一食でも食べないということは、命を維持できないことへと直結していたのだと思う。
どうにか食べて欲しくて買ってきたマグロの刺身一切れが、自分の意志で口にした最期の食べ物だった。


数日前まで普段通りにごはんを食べ、食べなくなって2日でシュっといってしまった。


その日も、あとは静かに家でゆっくりさせてあげようと思っていたのだけれど、
どこかでまだ何かしてあげられるだろうかと、ぐらつく気持ちもあり、
結局、病院に連れて行った方がいいのではないかという周囲の言葉に促され、
力なく横たわるチャタマをそっと運び、無駄だとわかっていながらも病院へ連れて行った。
案の定もう何もすることはないという判断。
本当にこの子の全部を出し切って最期をむかえようとしていて、ここまでの姿をみせてくれるのは
飼い主冥利に尽きますよ、もともとこの子が持って生まれたものかもしれないけれど、
大きな怪我はしてもここまで健康でこられたこの子の生命力を讃えてあげよう。
わたしもあやかりたい、と先生は言った。

帰り際に、これから身体がもっと冷えてくるからと、先生がタオルの下にカイロを入れてくれた。
家に戻り、昏睡状態のチャタマを撫でながら、頑張ってとは言わず大好きだよと伝える。
もうずいぶん長いこと頑張ってきたからね。ありがとう。

チャタマが静かに眠るように旅立ち、どんどん身体はかたく冷たくなっていくのに、
病院でもらったカイロはずっと温かく、翌日チャタマを送りだした後も夜遅くまでホカホカとしていた。
なんだかチャタマの体温を感じていられるような気がして、夏だというのに手放しがたく、
触って温かさを何度も確認してしまった。
きれいな青空で、よく晴れた気持ちのいい日だった。

最期まで手をかけさせない、ニャンともできた猫だったな。
出会った時はすでに成猫だったので、正確な年齢は不明なのだけれど、
推定年齢は少なくとも20歳くらいだったと思う。
大大大往生といっていいよね。


数日間は、キッチンに行くと必ず後ろで鳴っていたカツカツという爪の音がなく、
それなのに尚かつ、手が当たり前のようにゴハンのお椀をチャタマの分も出してしまったり、
その度に不在の存在感を思い知らされたけれど、数ヶ月たち、いないことにもずいぶん慣れて来た。
それでもやっぱり思い出すと、悲しいのではなく愛おしさで時々泣いてしまうこともある。
相棒猫も、1週間くらいは自分のゴハンをいそいそ平らげ、いつものように
チャタマが食事していた場所を覗きにいっていた。
そんなに急いでも、おこぼれにあずかるゴハンはもうありませんからね。



はたと気づくと、後編はとんでもなく長くなってしまった.......。
あまりの長さになんだか恥ずかしくなって、いっそ全部消してしまおうかとも思ったけれど、
ほとんど誰も読むこともないだろうから、駄文ついでにこのままで。




反対に一言で済ませることもできたのかも。
もし一言で表現するのなら、タイトルにつけた通り。

あっぱれチャタマ!


まさにこの一言に尽きる。
見事な猫生でしたよ。



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